フランス留学日記

些細なことを気がすむまで語る

震災の時の記憶

友達に書いた文章をそのまま載せようと思います。そんな適当な感じです。このブログは。

 

あれから六年になる。震災をこの機に振り返ってみようと思う。

地震の折は偶然にも合唱コンの練習の最中で。クラスのほとんどの人が教室にいた。

次々に余震が来てたけど、僕らは倒壊の危険の少ない新校舎側に移動してまず中庭に出た。初めて体験した強烈な揺れだったのは誰もが同じで、みんな怖がっていたけど、こういう時はなんだか冗談とか笑いが出てしまう人もいるんだね。人って不思議だな。
それから家が学校から近い人は歩いて家に帰ることになった。僕もギリギリ帰れる距離だったので、ケイゾウや他の人たちと一緒に4時間くらい歩いて帰った。ハイランドを通った頃にはもうとっくに陽は暮れていて、空に星が見えた。あの日は、停電が起こっていて、三浦半島が本当に真っ暗だったから、星がすごくよく見えたっけ。太古の夜空もこんな感じだったのかなとぼそっと思ったのを覚えている。

そう、地震直後に、ヨウ素剤を飲んだよ。父方のあのおじいちゃんに言われて、いつも財布に携帯していた。原発の放射性ヨウ素の危険性はおじいちゃんに言われて知っていたから。

数日経って、僕と兄弟と葉山のいとこは一緒に滋賀にいる親戚の家に避難することになった。あの時は、政府の情報を疑って、必ずしもニュースの内容を信用している人は少なかったよね。不安が広がってた。。。結局滋賀の和邇という街で3週間くらい過ごして(その間、建屋が水素爆発で吹き飛んだりして延期、延期して)、とりあえず状況がだんだん落ち着いて来てから逗子に帰ろうということになった。帰った時には、とっくに合唱コンクールは僕なしで終わっていて、せっかく決勝に進んでいた科学と文化発表会の僕らのグループは惜しくも優勝を逃していて、何もかも終わってもう春休みに入っていた。そんな小さなことをきにするのはおかしい気もするけど。春休み中はずっと先輩とメールしていた気がするな、あの先輩と。それを妹が見つけて、からかわれて。。。これが僕の震災に関する全記憶。

でも、僕たち日本人はあれからほんと頑張って復興して来たと思う。大地が動いても揺るがない心があるっていうか、地震があるからこそ、日本人は強いのかなって。思います。でも今の原子力規制委の仕事ぶりは疑問を感じる。あのときはおじいちゃんの怒りは凄まじかった。